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夢?

北海道でりゅうの散歩をしてたり、夕ご飯を食べてたり、朝、目が覚めた時は特に
夢だったりして…
と感じる事があります。

で、その後
夢だったらいいのに
とガッカリします。

明日、郡山へ帰ります。
いちいちガッカリするのは終わり。
しっかり現実と向き合って歩いて行くぞd=(^o^)=b
  

3月11日から今日までの事 ⑨

北海道の実家に来てしばらくしてからひどくおなかを下しました。
すごく辛かったけれどなんか悪い物を全部出した感じ(^^;)

お盆や年末年始に来ているだんなさんの実家はとても居心地が良く
ほぼ「いつもの生活」

放射能の事やこれからの事、いろいろ考える事が出来ました。

今のところは生活していくのに不安だけれど放射能は大丈夫という事であさって帰ります。

帰って今まで通りの生活に近づかせるぞ!と思えるのはやっぱり一度安心できる場所で休息してじっくり考えたからです。

30㌔圏外は、郡山市は大丈夫。と国や専門家は言ってます。(専門家によっては違いますが)
だけれど、それでも不安で毎日を過ごしている人は1週間でも1ヶ月でも半年でもいいからとにかく1度100㌔圏外とか遠くに避難するのもいいのではないかと思います。
そこでしっかり休んで、それから考える。

もちろん信用のおけるところへ。
色んなところで受け入れてくれています。
今日見つけました↓
http://www.mamatomama.info/

私も北海道に来るまではやっぱり冷静に判断できなかった部分もありました。

これから長いんです。
大事な人生。自分や家族、友達・・・
考えるための非難。  

3月11日から今日までの事 ⑧

震災の日からの記録です。
前回は郡山を出る前日のこと。
地震の日の事は思い出すと恐怖、苦しさ、悔しさ、悲しみばかりですが郡山を出る事を伝えた人たちの反応が優しく、思い出すと切なかったりじんわりと胸が温かくなります。

地震からちょうど1週間目に福島空港へ向かいました。

家を出て鍵をかける時
「戻ってくるからね」とつぶやいてしまいました。
戻ってこれるのだろうか。いや、戻ってくる!
なんだよ~なんでこんな事になっちゃったんだよ。

ワガママで人見知りのすずかは友達と楽しく遊べて、3年生になる事を楽しみにしていたのに。6月にはエレクトーンのコンテストの曲も決まったのに。

かおりは卒業式の入場の曲を練習して完璧だ!って言ってたばかりなのに。6年生になって下級生を引っ張っていくぞ!と意欲的になっていたのに。

私だって春からベビーマッサージの教室をもっと利用しやすく、楽しく!と企画していたのに・・・

どうしてこんなことになっちゃったんだ?
ずるい事だってしたかもしれない、悪口だって言ったかもしれない、環境に悪いことだってしているかも。

でもでもこんなにこれから先が不安になるような事態になるほどのことはしてないんじゃない?

そんな事を思ってもしかたないけど、こんな風に愚痴るのはこれが最後、もう振り返らないから。

空港までの道程を見ていると一週間経つのにまだ復興と言う言葉には程遠く壊れたところは壊れたままでした。
“まだ一週間”なんですね。

いつもがらんとしている空港は駐車場も満車で少し先の臨時駐車場のようなところを案内されました。

空港の管制塔の窓が割れていて修理を始めるところでした。

人がとにかく多く少し早めに入ったつもりでしたが飛行機に乗れたのはギリギリ。
数年前に北海道上空で雪のためなかなか降りる事が出来ないという体験をした私。
それ以来飛行機が苦手です。
だってその時上空にはグルグルと飛んだ飛行機が7機も順番待ちしていたんですもの(- -;)
狭い機内に「バスかよっ!」と心の中でつぶやいて小さな抵抗(^^;)

上空から見える福島県。
しっかり休んで来たら、またできる事をこの場所に戻ってきてするからね。

北海道は全く揺れてません。

大きなガラスを使っているお店をみると
「危ないなぁ」と思ってしまいます。

お母さんや妹夫婦の安心した顔を見ると私も力が抜けてきます。

見えない放射能。
しっかり調べて、これからのことを考えよう。

妹夫婦がパソコンを貸してくれました。
ブログ更新や調べ物にスマートフォンを購入しなくちゃだめかなぁと思っていたけれど必要なさそうです。

いつまでいるんだろうという不安感以外は何も心配しなくていいという安堵感でぐっすり眠る事が出来ました。  

アサイチ観てます。

津波で大きな被害を受けた那珂湊の中継をやっていました。
海を怖いと思ったり嫌悪感とかないですか?
という質問に

俺たちはここで生まれて育っているからここでしかいきられねえんだ。
それが漁師の定めだからね。
と、きっぱり。
じ〜んとしました。

若い漁師さんは沈んだのは浮かんでくるよ。
もうすぐ浮かぶよ。
と、にっこり。

時間はかかるしすっかり元に戻ったりはしないけれど今いるところよりは上へ行けるといいな。
  

3月11日から今日までの事 ⑦

先日までのつづきです。
3月17日(木)
次の日18日に北海道行きが突然決まり友達にメールをする。
郡山にとどまって避難所へボランティアをするつもりだったのに・・・
友達と励ましあって復興に向けて歩こうとしていたのに・・・
何だか胸が痛んでメールをしました。
プチママンのスタッフや仲良しママはみんな
「帰ってくるの待ってるよ!」
「飛行機嫌いだったんじゃない?気をつけてね!」
「ガソリン大丈夫?帰り困ったらガソリン持って迎えに行くよ。」
等など優しい返事をくれました。(T^T)
驚いたのは2~3日前にすでに県外へ避難している友達が結構な人数いた事。
原発の事があってとび出した感じの人もいて驚きました。

ウチの隣の地区班長さんの所へも挨拶に。
震災後手に入れた野菜や果物を持って行きました。
「行ってしまうのね。」
と永遠の別れのような表情でした。
「気持ちや体が落ち着いたら戻ってきます。」
と伝えると
「本当に戻ってきてね、待ってるね。」
と握手され驚きました。

地震がなかったらこんなお付き合いは出来なかったかも。と思うくらい数日前からぐっと近い存在になったTさん。
優しい方がお隣でよかった。と思ったばかりでした。
温かい手。
「戻ってきますね。」

そのあと、学校への連絡も兼ねて避難所になっている体育館へ行きました。
クラス担任には会えなかったけれど次女の学年の主任の先生に北海道へしばらくの間行く事にしたと伝えると
「北海道なら大丈夫ね。」と言われ、これも少し驚きました。
たまたま実家が北海道なだけで、より遠くへ・・・といったような認識がなかったのですが言われて初めて
「そうか遠いから安心なんだ。」
飛行機に乗っても被爆しているんだよななんてぼんやり考えた。

避難所になっている体育館に入るとグンと人が減っていた。
それでも一応「ラーメン体操」のCDを準備してきたので市の職員に声をかけるがやはりあいまいな返事。

PTA会長と奥さんを見つけ心苦しかったが実家にしばらく行く事を伝えると2人とも察してくれ
「いいんだよ!堂々と行っといで!」
「待ってるから!」
と握手。
子ども達、薫地区、郡山市、福島県を愛する2人。
熱くて優しい2人。
「やっぱり行くべきではないのでは・・・」と気持ちが揺れる私に
「白い恋人待ってるよ♪」と笑顔いっぱいで送り出してくれました。

自転車をこぎながら、立ちこぎしながら
「しっかり休んで、放射能の事しっかり理解して戻ってくるぞ。」
と思う反面
「北海道なら大丈夫ね」
と言った先生の顔が浮かぶと
「郡山は本当にどうなってしまうのだろう、大丈夫なんだろうか。」
と不安がこみ上げてきました。

9月に新築した家を見上げた。
親になにかあって引っ越さなくてはならなくなったら貸しても売ってもいいと思って立てた家。
放射能が心配だからって引っ越すんだろうか・・・

だめだ、ちゃんと考えられなくなっている。

でも余震には慣れてきてこの日から携帯電話を首にかけずに寝る事が出来ました。

明日、北海道です。  

ちゃんと書いてください

今日の朝日新聞朝刊に福島の県外避難者について書いてありました。
「怖い、でも戻るしか・・・」そんな見出し。
読んでがっかりしました。

原発から50キロ以上のいわきの方々について書いてあるのですがこれって風評被害にあたるでしょicon08といった文面でした。

「30キロ圏外に住まいがある人たちが自宅に戻り始めている。放射能汚染は怖い。でも生活のために働かねばならない。苦渋の決断は家族の姿にも影を落とす。」
って放射能の事知らない人が読んだら、いわきも30キロ圏外の郡山も危ないですよって言ってるのも一緒じゃない?!オニ

被爆被爆って、放射能の数値を見たらどうなのか、分かっていない人が記事を書くべきではないでしょうface09

農薬たっぷりの野菜に香料たっぷりのシャンプーの方が私は怖いもんね!!

鼻息が荒くなってしまいましたがこれからこんな風なのとか他にも色んな風評被害が出てくるんだろうね。
それに惑わされず堂々としなくっちゃね。

美味しいめひかりや野菜たち。
娘たちが「被爆者」なんて言われて悲しい思いをしないようにするのには親の私が放射能についてしっかり理解して納得して地に足つけて生きていかなきゃ。

今回の記事はホント腹が立つ!
でも動揺はしていません!キッパリface03  

尾木ママ

金スマ観てます。

大震災でたくさんの子ども達の命がなくなりました。
死と向き合う子ども達

今生きている子ども達が亡くなった子ども達とつながってしっかり生きる事が大事。

胸に響きました。
  

3月11日から今日までのこと ⑤

怖かった地震。
娘たちの、福島県の子ども達の未来が不安になった放射能について。
いろんなことがぐるぐるとしている日々。
今この時のことを忘れないように記録を残しています。

16日(水)
北海道行きのチケットを取ったものの気になるのは小学校にいる避難所の人たちや郡山から出ずに頑張る友人達の事。
そんな中、長女の通うスイミングから
「今日のスイミングはお休みになります。」と電話がある。
こんな時になに言ってるんだろう・・・と思いつつもやっぱり必要なのか、そりゃそうだ。となんだか日常とそうでなくなってしまった事に泣きそうになる。

22日に北海道へ避難するかもしれないということと、いつ郡山市も屋内待機など身動きが取れなくなるかも知れないと思い、避難所へ床に敷く銀マット3枚、湯たんぽ2コなど思いつくものを持って行く。

一応ラーメン体操のCDと手遊び用の人形なども持って出るがこの頃から避難所は日中人が少なくなっていた。
自宅に戻って少しずつ片付けをし始めているという事らしい。
夕方また来て何かしましょうか?とその日の市の担当者に聞いてみるがいい返事はもらえずもどかしい。

それでも炊き出しなどなにか手伝えるのではと夕方来てみるが炊き出しはなく、おにぎりやパンといった物を配るだけになっていた。

疲れが限界の上、食事がどんどん乏しいものになっていっている事にショックを受けました。
また灯油も限られているという事でストーブはつける時間が限られているようだった。

何も出来なかった1日でしたがだんなさんが
「お風呂は無理だけれどお湯をバケツに溜めて体と髪を洗ったら?」と提案。

お風呂場を暖房で暖めて1人づつバケツから大事にお湯を使って全身を洗う事が出来た。

地震後毎日タオルを温めて娘たちの髪や体を拭いてはいたが久しぶりのお風呂は湯船につかれなくてもさっぱりした。

食べ物を大事に、水を大事に・・・常日頃言ってはいたけれど実体験する事になるとは・・・と苦笑い(^^;)

さっぱりしてパソコンを見ていたら17、18日の北海道行きに空席があることに気がつく。

迷いがあったが避難所の様子、放射能、身内の心配など色々ぐるぐる考えて行く事にする。
18日の午前の臨時便。
一度しっかり考えるのにここを離れよう。
それが正しいのかどうかは分からないけれど今の私にはそうするしかないような気がした。

予約した後、でも・・・とまたぐるぐる。  

3月11日から今日までのこと ④

毎日少しづつ書きとめていきたいと思いつつなかなか前に進まずにいる大地震からの記録

15日(火)
余震に慣れているものの常に揺れている気がする。
給水も1日2回自転車で行くのも慣れて来たが疲れが出てきて
「このままじゃまずいかも・・・」と心身ともに限界に近づいている気がするが自宅が無事で食べるのも寝るのも不自由でないのでそんなことは言ってられない!と思う。

9時頃プチママンスタッフHさんから
「水大丈夫?持って行くよ~」とメールが入る。
「小学校にも給水車が来ているから大丈夫だよ」と返信をして少ししてから給水しに家を出ようと思ったら玄関先にHさん登場。
自宅から水を山ほど持って来てくれる。
この行動力、心意気に朝思い悩んでいた事がすっ飛んだ(^^)
この時に学校避難所の状況を話して、Hさんの得意分野リンパマッサージや足湯をするかそれとも炊き出しするかと少し話をする。
しかし本当に助かった。この日から3日間給水に行かなくて済んだのだから。

その後テレビを見ていると原発の状況がドンドン悪くなっていく。
相談するとだんなさんからも
「北海道(だんなさん実家)にしばらく避難するかもしれない」とメールが入る。

ママ友Mちゃんからガソリンを10ℓ分けてあげるから取りにおいで!と言われていたので娘たちをつれて訪問。
久々にたわいもない話もして癒されるがやはり原発の話に。

結局だんなさんと相談してキャンセルしてもいいわけだからとりあえず北海道行きの飛行機を抑えておこうという事で22日の予約する。

原発のことが話題になってから大阪や広島の友達から驚くくらいの数のメールをもらう。
身内ももちろん心配しているし私自身知識がないので娘たちの体になにかあっては・・・不安になった。

ただ避難所の人達、郡山の友達、学校の先生、プチママンスタッフ、プチママンやベビーマッサージに来てくれるお母さん方や子ども達・・・

その人たちと郡山を福島を復興させるぞ!という気持ちは?
県外脱出は正しいのか?

いろんなことがぐるぐる頭を駆け巡っていました。

どうか22日までに、ここ2~3日でおさまりますように!と祈るばかりでした。

そしてだんなさんが久々に帰ってきました。
娘たちはやっぱりほっとしたのでしょう、私も力が抜け疲れがドッと出てきました。

明日から色々相談しなくては。と気持ちが引き締まった気がします。  

陸前高田

青森に住む両親が友達に物質を届けに行くと言ってます。
行動力がある両親。
でも心配です。