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3月11日から今日までの事 ⑦
先日までのつづきです。
3月17日(木)
次の日18日に北海道行きが突然決まり友達にメールをする。
郡山にとどまって避難所へボランティアをするつもりだったのに・・・
友達と励ましあって復興に向けて歩こうとしていたのに・・・
何だか胸が痛んでメールをしました。
プチママンのスタッフや仲良しママはみんな
「帰ってくるの待ってるよ!」
「飛行機嫌いだったんじゃない?気をつけてね!」
「ガソリン大丈夫?帰り困ったらガソリン持って迎えに行くよ。」
等など優しい返事をくれました。(T^T)
驚いたのは2~3日前にすでに県外へ避難している友達が結構な人数いた事。
原発の事があってとび出した感じの人もいて驚きました。
ウチの隣の地区班長さんの所へも挨拶に。
震災後手に入れた野菜や果物を持って行きました。
「行ってしまうのね。」
と永遠の別れのような表情でした。
「気持ちや体が落ち着いたら戻ってきます。」
と伝えると
「本当に戻ってきてね、待ってるね。」
と握手され驚きました。
地震がなかったらこんなお付き合いは出来なかったかも。と思うくらい数日前からぐっと近い存在になったTさん。
優しい方がお隣でよかった。と思ったばかりでした。
温かい手。
「戻ってきますね。」
そのあと、学校への連絡も兼ねて避難所になっている体育館へ行きました。
クラス担任には会えなかったけれど次女の学年の主任の先生に北海道へしばらくの間行く事にしたと伝えると
「北海道なら大丈夫ね。」と言われ、これも少し驚きました。
たまたま実家が北海道なだけで、より遠くへ・・・といったような認識がなかったのですが言われて初めて
「そうか遠いから安心なんだ。」
飛行機に乗っても被爆しているんだよななんてぼんやり考えた。
避難所になっている体育館に入るとグンと人が減っていた。
それでも一応「ラーメン体操」のCDを準備してきたので市の職員に声をかけるがやはりあいまいな返事。
PTA会長と奥さんを見つけ心苦しかったが実家にしばらく行く事を伝えると2人とも察してくれ
「いいんだよ!堂々と行っといで!」
「待ってるから!」
と握手。
子ども達、薫地区、郡山市、福島県を愛する2人。
熱くて優しい2人。
「やっぱり行くべきではないのでは・・・」と気持ちが揺れる私に
「白い恋人待ってるよ♪」と笑顔いっぱいで送り出してくれました。
自転車をこぎながら、立ちこぎしながら
「しっかり休んで、放射能の事しっかり理解して戻ってくるぞ。」
と思う反面
「北海道なら大丈夫ね」
と言った先生の顔が浮かぶと
「郡山は本当にどうなってしまうのだろう、大丈夫なんだろうか。」
と不安がこみ上げてきました。
9月に新築した家を見上げた。
親になにかあって引っ越さなくてはならなくなったら貸しても売ってもいいと思って立てた家。
放射能が心配だからって引っ越すんだろうか・・・
だめだ、ちゃんと考えられなくなっている。
でも余震には慣れてきてこの日から携帯電話を首にかけずに寝る事が出来ました。
明日、北海道です。
3月17日(木)
次の日18日に北海道行きが突然決まり友達にメールをする。
郡山にとどまって避難所へボランティアをするつもりだったのに・・・
友達と励ましあって復興に向けて歩こうとしていたのに・・・
何だか胸が痛んでメールをしました。
プチママンのスタッフや仲良しママはみんな
「帰ってくるの待ってるよ!」
「飛行機嫌いだったんじゃない?気をつけてね!」
「ガソリン大丈夫?帰り困ったらガソリン持って迎えに行くよ。」
等など優しい返事をくれました。(T^T)
驚いたのは2~3日前にすでに県外へ避難している友達が結構な人数いた事。
原発の事があってとび出した感じの人もいて驚きました。
ウチの隣の地区班長さんの所へも挨拶に。
震災後手に入れた野菜や果物を持って行きました。
「行ってしまうのね。」
と永遠の別れのような表情でした。
「気持ちや体が落ち着いたら戻ってきます。」
と伝えると
「本当に戻ってきてね、待ってるね。」
と握手され驚きました。
地震がなかったらこんなお付き合いは出来なかったかも。と思うくらい数日前からぐっと近い存在になったTさん。
優しい方がお隣でよかった。と思ったばかりでした。
温かい手。
「戻ってきますね。」
そのあと、学校への連絡も兼ねて避難所になっている体育館へ行きました。
クラス担任には会えなかったけれど次女の学年の主任の先生に北海道へしばらくの間行く事にしたと伝えると
「北海道なら大丈夫ね。」と言われ、これも少し驚きました。
たまたま実家が北海道なだけで、より遠くへ・・・といったような認識がなかったのですが言われて初めて
「そうか遠いから安心なんだ。」
飛行機に乗っても被爆しているんだよななんてぼんやり考えた。
避難所になっている体育館に入るとグンと人が減っていた。
それでも一応「ラーメン体操」のCDを準備してきたので市の職員に声をかけるがやはりあいまいな返事。
PTA会長と奥さんを見つけ心苦しかったが実家にしばらく行く事を伝えると2人とも察してくれ
「いいんだよ!堂々と行っといで!」
「待ってるから!」
と握手。
子ども達、薫地区、郡山市、福島県を愛する2人。
熱くて優しい2人。
「やっぱり行くべきではないのでは・・・」と気持ちが揺れる私に
「白い恋人待ってるよ♪」と笑顔いっぱいで送り出してくれました。
自転車をこぎながら、立ちこぎしながら
「しっかり休んで、放射能の事しっかり理解して戻ってくるぞ。」
と思う反面
「北海道なら大丈夫ね」
と言った先生の顔が浮かぶと
「郡山は本当にどうなってしまうのだろう、大丈夫なんだろうか。」
と不安がこみ上げてきました。
9月に新築した家を見上げた。
親になにかあって引っ越さなくてはならなくなったら貸しても売ってもいいと思って立てた家。
放射能が心配だからって引っ越すんだろうか・・・
だめだ、ちゃんと考えられなくなっている。
でも余震には慣れてきてこの日から携帯電話を首にかけずに寝る事が出来ました。
明日、北海道です。